『ルワンダ中央銀行総裁日記』

ルワンダ中央銀行総裁日記』を読んでみた。

ルワンダ中央銀行総裁日記』を読んでみた。 帯に「twitterで話題沸騰」とまで書かれているこの本、リアル"シムシティ"みたいでやってること自体はロマンの塊、筆者服部正也氏は中央銀行総裁という立場で赴任したといえど、その持てる知識と経験を総動員させてルワンダ経済を立て直した...というのは痛快この上ないお話。 とだけいえばただの冒険譚風で終わりなのだけれど、この話には続きがある。この本の初版は1972年で、服部氏が任を終えて割とすぐに出版されたものである。ところが、ルワンダはその後凄惨極まる内戦と大虐殺を経験することになる。私もこの本を読むまでは、ルワンダに関する知識は『ホテル・ルワンダ』を見ただけだったけれど、フツ族ツチ族に分かれての殺戮を繰り広げたそうな。

ルワンダにおけるフツとツチは、フツは多数派で農耕主体、ツチは少数派で牧畜主体だそう。で、『ホテル・ルワンダ』は1994年のルワンダ虐殺が舞台で、少数派であるツチが虐殺されるという事態の中で、千余人のツチを保護した実在するホテル(の支配人)の物語である。 ルワンダ第一次大戦後ベルギーの委任統治下におかれ、少数派のツチが支配階級におかれた、とされる。ここまで聞くと、よくある少数派の現地人に植民地統治を委任し、悪役を演じさせるという、おなじみのパターンにしか見えない。 ところが、総裁日記にはツチ・フツという言葉は全く見当たらない(※2009年(以降)に発行された増補版に収録されている増補部分は除く。以下同じ)。本文中には、ルワンダ人は勤勉で、農耕主体の生活をしており、自給自足であるが、余剰生産物の扱いに明るくないため、総裁のできる範囲で余剰生産物(ルワンダでは主にコーヒー)を適度に栽培させた...という話がでてくる。

60年代当時の自給自足のルワンダ経済において、現金はさほど必要ではないものの、とはいえ多少は必要になってくる外貨を獲得する手段としてのコーヒー栽培を奨励する。それも、ルワンダ人の食糧には影響しないよう絶妙なインセンティブをつける、という、中央銀行総裁ができる範囲で最高にイカすクールな手法でルワンダ経済を明るくさせた...という、この上ない爽快な冒険譚に終始している。 服部氏は「中銀総裁はルワンダ人が任に就くべき」との考えで、毎年更新しつつ6年もの任期をルワンダで過ごしたのだが、彼のもう一つの仕事であった「ルワンダ人商人の育成」が貧富の差を生み出し、80年代にはジニ係数までもがかなりのものであったらしい。 なら、服部氏が良かれと思って作り上げた商人の地歩が貧富の差を生み、内戦へとつながったのか...というと、そういうありきたりな塞翁が馬という話でもない。 総裁日記も"増補版"のほうには『ルワンダ動乱は正しく伝えられているか』という服部氏の論考が掲載されているが、ルワンダ紛争はちょっとややこしい。

そもそも、ツチとフツという二民族が暮らすルワンダ...という認識は荒い認識であり、ツチとフツはそもそも同系統の民族であるらしい。農耕生活をするフツと、牧畜生活をするツチ。牛を所有するなどして、ツチのほうがやや豊か…という程度の差こそあれど、言語などであまり差がない、つまり、互いに異なる独立した民族と言い切るには早計、という存在である。しかも、ルワンダ紛争まで大統領であったハビャリマナ氏は(73年にクーデターで大統領となったものの)フツとツチの融和策を掲げ、少数派のツチは政治的な主張さえしなければ自由に過ごしており、ツチの政商も登場した。 なので、抑圧されたグループが反乱を起こした、というよくある構図に押し込めるには些か難がある。ハビャリマナ政権下ではフツもツチもそこそこ自由であったらしい。服部氏が退任したのちもしばらくは安定して経済が発展していたようである。貧富の差が拡大しこそすれど、擾乱には至らなかったようす。

2000年以来ルワンダの大統領を務めているポール・カガメ氏はRPF:Rwandan Patriotic Front/ルワンダ愛国戦線の首班である。カガメ氏こそツチであるが、RPFとは一体何か。

第二次大戦後、ルワンダのツチ政権とベルギーとの関係が悪化し、多数派フツによる体制転覆をベルギーが支配した。その後、フツ政権が樹立され、少なからざるツチが隣国ウガンダへと避難した。ちなみに、ルワンダの北隣がウガンダ、南隣がブルンディである。ブルンディはルワンダと兄弟国のような存在であるが、話がそれるので省略。 RPFはルワンダ人というか、ウガンダに逃れたツチによる組織らしい。しかも、80年代のウガンダ内戦(Ugandan Bush War)で活躍し、現ウガンダ大統領ムセベニ氏も86年にRPFの支援も受けつつ大統領に就任したそう。 ルワンダ紛争のきっかけはこのRPFがルワンダに侵攻したことによるもので、とくにルワンダ虐殺は1994年にRPFに脅かされる首都の空港にて、着陸寸前のルワンダ大統領ハビャリマナ氏が隣国ブルンディ大統領ンタリャミラとともに搭乗していた航空機が撃墜されたことがきっかけとなった。今日に至るまで両大統領暗殺事件については詳しい情報が見つからないが、当時のルワンダ政権に反対する者の犯行であることは確からしい。


こう長々と書いてきたが、結論から言うと、「服部氏が蛇足を描いた」のではない。よくある、良かれと思ってやったことが却ってよくない効果を発揮した、という寓話風の話ではないらしい。貧富の差、ツチとフツの対立...。それだけでも擾乱の主因となりそうなのに、温和らしいルワンダ人はその程度のことでは動かない様子。一言でまとめると、「50年代に亡命したルワンダ人が80年代に亡命先ウガンダの政権奪取に協力、90年代には祖国ルワンダを征服した」という構図に見える。最初のウガンダ亡命こそフツとツチの対立が原因であるが、RPFの動きはルワンダにとどまらない、というよりはルワンダに侵攻するまでもっぱらウガンダで雌伏し、力をつけていたようだ。 話を元に戻して、人口の1割以上が殺害されたルワンダ虐殺と前後して、1994年からビジムング氏が大統領に就任。ところが、かれは実力者であるRPFの首班カガメ氏には逆らえなかったようで、実際に2000年に辞任してカガメ氏が大統領に就任し、カガメ氏は2021年現在まで在任中である。


ルワンダ中央銀行総裁日記』(増補版)を読んだ感想といえば、「すごい!」の一言であった。価格を調整するだけで経済を操るその手腕、ほれぼれするものがある。しかしながら、服部氏が退任してわずか20年後には凄惨極まる血で血を洗う内乱が勃発してしまった、というのは大変遺憾である。しかしながら、中銀総裁の成したことがわずかでも流血の原因になるのならともかく、ルワンダ紛争に関しては、隣国ウガンダ育ちのウガンダ系の人々が"立ち上がった"ように見える。服部氏が悪い種を蒔いて紛争に至ったのならともかく、隣国から同胞と称する軍隊が攻め入るというのはいったいいかがなものか...。

 

総裁日記は興味があれば皆さんお読みいただきたい書籍の一つなのですが、初版刊行後に起こったいろいろな歴史的事件を思い浮かべると、なかなかむつかしいものがあります(´・ω・`)通貨改革と経済成長に取り組んだ服部氏の功績はすさまじいものですが、それを灰燼に帰す在外勢力。服部氏が極度のインフレを起こさないように腐心しながらも組み立てたインフラが破壊される。総裁日記を読んだだけではこうはネガティブにならないんでしょうが、前後のルワンダ史を合わせて鑑みると、賛成か反対か、陰か陽か...などという単純な問題ではないんだなとあらためて思いました。